正義の主張について

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正義とは

正義を辞書で解説すると

1.人の道にかなっていて正しいこと

2.正しい意義。また、正しい解釈。

3.人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。

と辞書で正義の定義が説明されている。

今、ロシアがウクライナへ侵攻しチェルノブイリの占拠を先駆け首都を武力で制圧するニュースがリアルタイムで流れている。

第二次世界大戦後、内戦が続く国、地域があれど国境を超え武力で力に劣る国に対し武力制圧するロシアに

一日本人として

ただニュースで流れるウクライナの罪なき国民が逃げる様子を傍観者として観る事しか出来ない状況で

今ひとつ『正義』の存在に考える夜を迎えました。

正義を主張する危うさ

誰しも今まで生きてきた中で正義というモノに対しボーダーラインを引いて生きていると思います。例えば

自分だったら家族、親族、友人が他者から

暴力を受けたりしている場面に出くわしたら(まぁあまり無いと思いますが…)

正義を掲げ、自分の持てる力の限り制するエネルギーを出す事でしょう。

しかし、外見から見ただけで助っ人的に暴力対暴力として相手に危害を加えた結果。

例えば、危害を加えていたのが自分家族や友人としたら加害者として見ていたはずの方は防衛でいたところに

自分が便乗して逆の立場であった自分達側に非があったら

瞬発的に出した正義は間違った方向に向かい結果的には

法で裁かれながら法廷で自分の正義が間違っだったと主張するか、頑として否定する被告人となるかも知れません。(例えが分かりづらく申し訳ございません…)

人生の未熟者として自分は正義というものを一方通行的に相手に伝えたりしていた事で相手側に立つという意識が欠けたりした場面もあり

痛い思いを散々した結果、正義を主張する危うさを覚えました。

力無き正義は無力なり正義なき力は暴力なり

極真空手創始者である大山倍達総裁は

力なき正義は無力なり正義なき力は暴力なりと唱え、個人対個人から飛躍し

さらには世界平和を祈っていた精神が窺えしれます。では

今回のロシアが軍事的な暴挙は世界から

無力な国として制裁を受けるのか

または各国が正義を主張し和平路線の外交を無視して暴力と化すのかわかりませんが

正義の定義の解釈が共通認識として個人、国が統一するには歴史背景も重なり

正義を辞書にあげ定義付けするには

様々な解釈を施すより、その場で正義は変わるという認識を持つという共通認識で

危うさを秘めた言葉と感じました。

国と個人での正義

国と個人。

集合体と単体で正義は色を変え形を変えて

変貌しながらも個人の正義に対する解釈は

信念が強い程、危うさを伴なう事が

今回のウクライナ制圧。

プーチン大統領は欧米に対しての積年の

不振感から己の正義を貫いた結果であるならば

私たちが思う正義を他者に主張することは

危険性を帯びる認識を持たないといけないはず。

彼の地で寒さと暴力に震える罪なき人達が安心に穏やかに過ごせるよう

祈るしか他ない弱い自分に対し目の前にある自分の現実に感謝します。

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